ミステリアスな交響曲『モーツァルトの交響曲第40番ト短調』

田苑酒造では、一次仕込みの際にクラシック音楽を蔵に流してタンクに聴かせる独自の「音楽仕込み」で、“もろみ”の発酵を促すお酒造りをしています。そんな田苑酒造の蔵で流している楽曲の中から、今回はモーツァルトの交響曲第40番ト短調をご紹介します。

ウィーンへ移住そしてミステリアスな交響曲の創作へ


1781年5月、25歳のモーツァルトはザルツブルクと決別してウィーンでの定住を決めました。オペラの創作に熱を入れていたこともあり、しばらくの間交響曲とは疎遠でしたが、1778年以降は再び交響曲に取り組むようになり、それまでの “交響曲=祝典のための音楽” という概念を超えて、創作理由を問わない新しい域へと「古典派」というジャンルごと引っぱってゆきました。たくさんの経験を積んでオーケストラを熟知したからこそ描ける、後期のモーツァルトの独創性を活かしたその傑作たちは、今でも多くの人々を魅了しています。

1788年7月25日にウィーンで完成された交響曲第40番ト短調は、彼の最後の交響曲のうちの第39番変ホ長調・第41番ハ長調とともに “モーツァルトの3大交響曲” と言われ、モーツァルトの全作品中においても特に名の高い一曲です。
この “3大交響曲” は、誰かからの依頼によるものではなく彼自身の創作意欲によってのみ書かれたこと、そしてそれがたった6週間での出来事であることが、モーツァルトファンの中では彼の死と同等のミステリーとされているそうです。

また、モーツァルトの交響曲の中でたった2曲しかない短調の作品のうちのひとつでもあり、もう一方の第25番もト短調であることから、第25番を“小ト短調”、第40番を“大ト短調”と呼ぶこともあります。

この交響曲第40番の初演についての記録は残っていないので定かではありませんが、初稿の編成では存在していなかったクラリネットが、その後の改訂によって2本含まれていることから、彼は演奏する目的で改訂を行ったのではないか、と推測されています。
他にも、「1791年4月16日と17日に、ウィーンの音楽家協会のコンサートにて、(のちにモーツァルトと対立することになる、ヨーロッパの楽壇のトップに君臨していた作曲家、教育者の)アントニオ・サリエリの指揮によってモーツァルトの新しい大交響曲が演奏された」と記述された史料が残っていて、この“新しい交響曲”は第40番を指すものであろうと考えられています。

全4楽章構成で、最も有名な第1楽章の冒頭の主題は“ため息のモチーフ”と呼ばれています。この“ため息のモチーフ”は第40番の全楽章に現れ、それぞれに不安や嘆きの感情を生み、それぞれの楽章を翳らせています。

“モーツァルトの3大交響曲”、第40番を“もろみ”のフィルターに


ウィーンに移り住んだ当初は、いかにも“彼らしい”朗らかで甘美な曲をヒットさせ、多くの人を虜にしていたモーツァルトでしたが、次第に“誰かのため”ではなく“自己表現のため”に創作するようになり、以前よりも重さのある難解な作品を書くようになりました。そのせいか彼の人気は徐々に薄れ、演奏会の客足も遠のいてしまい、収入源を失くしたモーツァルトは、あらゆる友人に手紙で借金の依頼をするようになります。

そんな目処の立たない生活の中で生まれた交響曲第40番の旋律は、哀愁を帯びた遣る瀬ない想いが彷徨っているように感じ取れますが、ただ悲観的なだけではなく、苦さを知らなかった頃の回想に耽るロマンティックな面も緻密に描かれているように思います。

私たちが“モーツァルト”の名前を聞いてイメージする、天真爛漫で躍動感のある愛らしい印象とはかけ離れた、彼の心の奥底にある天才ゆえの苦悩やナイーブさが伺える交響曲第40番。内面的な音楽を聴いて育まれた田苑酒造のタンク内の“もろみ”は、他の楽曲を聴いた“もろみ”よりも圧倒的にキメが細かく、深いニュアンスを含むようになることが予想できます。これらが田苑焼酎の味や香り、舌ざわりや飲み心地などに影響していき、後々私たちの身や心に対しても良い働きかけがありそうですね。

それまであまり露わにされることのなかった彼の本音をまとった田苑焼酎は、私たちに何か新しい気づきをもたらしてくれそうな気がします。